息子との雪まつり

2月8日夕方 茨城空港から新千歳空港へ飛びました。
目的は、64回さっぽろ雪まつりの観光です。

凄まじい人人人で、あちこちでスッテンコロリン。
大粒の雪舞う中、見てきました。

29年前にも一度来ているのですが、スケールは大きくなっており、売店の数もこんなにも多くはなかったと記憶しています。




夜は、札幌の友人の看板屋さんとオフ会で楽しい一時を過ごしました。

10日は日高の民宿夢民村さんへ。
いつも牧場風景に異変が、なんとエゾシカが勝手に牧場に入って、のんびりと草を食べているではないですか。

この一二年の繁殖で、牧場を荒らしいるらしい。

自然体系が壊れて生きているようだと民宿夢民村さんが嘆いていました。


民宿夢民村さんのご夫妻は、相変わらずの仲良し。

息子もお孫さんらと打ち解け、楽しいゲームなどで盛り上がりました。
こんな贅沢な時間を味わえて、私も幸せでした。


今年も息子とのよい思い出を作れる事が出来ました。

あと、何年民宿夢民村さんを訪ねられるだろう。

大切に年を取ろうと思います。

 

仮設トイレ

 多くの友人からメール・電話をいただき、有り難う御座います。
家族・親戚には怪我する者もでず、無事です。

電気のない夜を3日間ほど過ごしましたが、今は復旧し、このようにiMacから
ブログを更新出来る環境になりました。

岩手県・宮城県の被災者さん達と比べれば、何の不自由も感じません。
彼らに、みんなが見守っている事、復興を後押しするからねと伝えたいですね。

また、東京電力の被曝の恐怖の中、真っ暗な建屋で決死の作業している方達にも
エールを送りたい。
今は、文句を言っている時ではないはず、よく考えて、願ってあげること、出来る事をやってあげることが大切だと思います。

今回の地震で、電気の消えた夜に寝ながら朝起きて何が必要になるかを考えました。
仮設トイレと水の確保でした。

朝早く起きて、穴を掘って、柱を立てて、余っていたコンパネで囲いました。

3日後には雨が降っても濡れないでは入れるように、テントを付けました。


私の出来ることはこれくらいでした。水も二カ所確保。

ガソリンが底をつく前に、水道の復旧を願うばかりです。

日本もこれからの5年が正念場かと思う。
みんなで話し合って、日本を元気にしていきましょう。


人生をデザインする2

 今年の正月の旅行で、25年来の友人で、4年前にうちまで遊びに来ていただいた方で、
中富良野で、ふらのユースホステルを営んでいます。Nさんとしておきます。

Nさんから人生をデザインするというもの考え方を言葉ではなく、
その方の生活から学んで来た。すべて自分のデザインを貫くという考え方なんです。

自分が出来ない事は、他の方に頼むとしてもちゃんと想いを伝えて作ってもらうこと
かと思っています。
口べたなNさんなんで、どう読み取るかなんです。笑


パドゥの家のドアに似た、紐を引くだけで開くドア。
車椅子の方にあわせて作られたドアだと思います。
本人からの聞いたわけではないので、でもきっとそうです。


薪ストーブ。既製品だと思うが、その周りのゴチャゴチャがデザイン化されていて、
機能的でもあるんです。
また、床には点字ブロックが付いています。木製です。

薪ストーブを使って、ご飯を炊いてくれます。おこげも美味しかった。
そのお米もNさんが作っています。
お米を選別する機械もありました。

このノコギリで、裏山の木を切っているに違いない。
チェーンソーも使っているとは思いますがね。笑


ダウンライトもこの通り。

私が感動したのは、この配線です。凄いでしょう。
配線は隠すものというのが、看板屋なんですが、これが甘かった。
ここまでやれば、デザインという意味を持ち、この木の金具がちゃんと削られ、面がとってありますから、人の心に響くんですね。


家の色も形もドアも床も食も配線も鍵も車も、自分のデザインを注入すしいるように
感じました。
そして最も大切なのは、人生そのものをデザインする。
他人に併せる事無く、好きなように生きる。

Nさんと久しぶり会って、最初にガッンと殴られたような会話をしました。
私が、何気なく忙しい時はそれなりに頑張って、稼いでいますと言ったら、
小さな声で、俺は忙しくても遊びたいのが重なったら、俺は休むよですって。

お金を稼ぐ事は必要ですが、ただ必要以上に稼ぐ必要は無い。お金にこびる必要は無い。
と彼は言っていたに違いない。

響きましたね。
もっと遊ばないといけないんだと。もっと人生を楽しまないとと。

夕食は、奥様の心のこもった手料理。なぜ心がこもったかって、小さなジャガイモを揚げたのは、見るからにNさんが作った野菜達なんですから。市販で売っているはずの無い食材。
それが美味しいのなんの。おこげも美味しい。小豆とカボチャの煮物も美味しいかった。
手間を惜しんでは作れないものばかりでした。感謝。これもデザインですね。

夜遅くまで、口べたなNさんは頑張って、遠くから訪ねた私にいろんなことを
話してくれた。
彼の夢はも、壮大なものでした。
その夢を叶えるためには、まだまだ大きな山を越えなくてはならないが、彼のデザインは
その道のりをちゃんとしっかりとした太い線で描いているようでした。
きっと成し遂げるでしょう。

なもんで、感化されやすい私は、Nさんが作った自家製のベットで、私ももっと楽しい人生を歩みたくなり、そして、この言葉を見つけました。「人生をデザインする」。
素晴らしい志だと思いました。

翌日は、旭山動物園までドライブに誘ってもらい、みんなで可愛いペンギンの散歩を見る事が出来ました。


是非、北海道へのご旅行をしたくなった方達には、ふらのユースホステルを
お勧めします。

http://www4.ocn.ne.jp/~furanoyh/

口べたなNさんは、本当にしゃべりませんから。特に男とは。笑

ふらのからは、札幌・小樽・函館を経て、7泊8日の旅を息子と一緒に過ごせました。



昔とはひと味もふた味も違った旅が出来ました。

これからも私なりのデザインした人生と旅をしていきたいと思いました。

突然元旦に訪ねていき、ご迷惑をお掛けしました新井牧場のご家族様・
年越し・元旦に15年ぶりに泊まらさせていただいた夢民村のお父さん・お母さん、
ふらのユースホステルのNさんご家族樣へ、いい旅行ができました。
本当にありがとう御座いました。

また、FaceBookで流し続けていたこの旅に同伴してくれたラルちゃん、デキシーさん、杉さんに
感謝致します。

やっと書き上げる事が出来、ホッとしております。

今年は、デザインするぞ。





人生をデザインする1 

15年ぶりの 北海道を息子と二人旅と名付けて、ゆっくり回ってきました。

12月29日早朝小木津駅5時出発 
普通列車を乗り継いで盛岡。
盛岡〜新青森 はやて35号
青森 急行はまなす車中泊で、札幌へ。
青森駅前の回転しないお寿司屋さんで、海鮮丼夕食。

12月30日早朝札幌駅6時到着。25時間をかけて、15年ぶりの北の大地を踏みしめました。
朝飯は札幌中央市場にて、かに弁当・海鮮弁当。地下鉄の改札口で食べる。

ネットで知り合い、10年来の友人で同業者のオチスタジオさんとモダンワークさんの会社を訪問。訪ねたかった会社さんなので、一つの夢が叶う。オチスタジオさんには、昼食に美味しいジンギスカンをご馳走になる。息子ともどもたらふく食べる。感謝。

12月30日は、札幌ハウスYHにて宿泊。近くのスープカレー専門ヒリヒリにて夕食。旨かった。

12月31日 早朝から動きだし、まずは札幌から千歳本線で苫小牧へ。
これまた各駅停車の普通列車を乗り継ぐ、のんびりと寝ながらの旅。
苫小牧から日高本線に乗り換えてゆっくり豊郷にある民宿夢民村さんへ。
15年ぶりに、夢民村のお父さんとお母さんと再会。何一つ変わっていなかった。


ここには人を優しく包み、元気にしてくれる空気があります。


2010年の最後の一日をまったりと過ごさせてもらった。
いろんなことがあったが、良い一年だったと振り返る事が出来た。

2011年1月1日 元旦は、お節料理で朝食。


昼間は、近くの「とねっこの湯」で湯ったり。
午後は、近くの新井牧場さんへ。夢民村さんで知り合い、馬や牧場の写真を
撮らしてもらった方で、これまた15年ぶりの再会。

元旦に突然お邪魔したのに、お茶とお土産までもらってしまいました。
息子は、4年生のお兄ちゃんと6年生のお姉ちゃんにソリで遊んでもらいました。

18年前に作らさせてもらった看板も健在でした。手描きの時代のものです。
何もが懐かしいかった。懸命に筆を走らさせていた頃の看板です。

生まれたばかりだったあの赤ちゃんは18歳の娘さんになっていました。


その帰り道。こんな夕陽も見る事が出来て、息子も楽しいお正月になったようです。

1月2日 朝から父さんに豊郷駅まで送ってもらい、次の目的地のふらのに出発。
父さんはホームにまで上がって来て、見送ってもらった。また、来ますと手を振って別れました。

今日は、ふらのまで辿り着きますでしょうか。 



親父に贈る歌をCDに。

 お葬式に流す歌を選んでおります。






よく親しい友人や親しいお客様に「親父の悪口」を言ったものでした。
親父にも辛い言葉を吐いた記憶ばかりです。

きっと寂しかったはず、あれだけ一人になるのを嫌う人だったから。
23年もよく我慢したものだと思うようになりました。

三京の洋ちゃんという親友が親父にはいます。
ずっと、ずっと見舞いに通ってくれました。三日にあけず、親父を訪ねてくれました。
40歳を過ぎた私は、ようやくこのような親友を得た親父がうらやましく思うようになりました。
生前は大変お世話になりました。三京の洋ちゃん、ありがとうございました。

明るくて、いつも楽しく、笑わせてもらったよとよく昔を知るお客様から聞きます。
そう、親父には人を明るくさせ、包み込む大らかさがあったと思います。
真似出来ない、親父の偉大なところだと思うようになりました。
親父を愛してくれたお客様には、親父が書くから喜んでもらえる字があったのです。
人を楽しませる事の出来る人間が書く文字が悪いはずがない。

亡くなってから、こんなことに気がつくとは。

私も人を楽しくさせられる看板を作って行きたいと思います。

もしももう一度あなたに会えるなら、ありがとうござました。そして、ごめんなさい。と言いたい。あなたの息子として、もっと人に優しく接していきます。





息子の記事



息子ばかりがネタとしてとりあげられます。

農協さんの情報誌に掲載してもらいました。

最後の方の文章がとてもよい。

将来、お父さんのような看板屋さんになりたいですって!涙

息子が職業に就く年頃まで、選択肢の一つの職業に選ばれるよう、頑張ろうと思いました。

不敗伝説終わる 観梅大会



水戸の県武道館「第58回茨城県小学生学年別優勝大会」
(通称:観梅大会)に、初めて息子が参加してきました。
この中のどこかにいます。



家族みんなで観戦してきました。

息子の不敗伝説とやらに期待しておりましたが、いや、あっけなく
6秒で崩れ去れました。
組んだとたん、寝転んでおりました。コロンって感じ。
ただ、帰ってくる足は速かった!しかも、笑顔だもんね。

それから、少年団のみんなの戦いが終わるまでの観戦は続いたが、
みんなあっけなく1回戦負けばかり。う〜ん!しゃない!気合が違がった!

負けて悔しくて、泣いている子供達もいれば、中年の親父が久しぶりのゴルフで
負けたような言い訳(この頃忙しくてさぁ。練習がねぇ〜)をしている子供もいました。
脇で聞いていて、笑いをこらえるのがつらかった。

とても考えさせられた一日となりました。

懸命に物事への取り組み方法は、教えてあげられたらと思いました。

不敗伝説から腐敗伝説にならなければ・・・。
淳史くん、どんな涙を流す人間になるのでしょうか。


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